雑司ヶ谷霊園に眠る大川橋蔵は「銭形平次」を演じて今でも人気ですが、区切りの12回目の今回は、作品に描かれた江戸時代の実在のヒ―ロ―を豊島区内に訪ねます。
染井霊園の北側に接する勝林寺に眠る田沼意次(1719-88)が注目のヒ―ロ―です。作品ではだいたい「わいろ政治家」と悪役で、彼の命日には寺に石が投げ込まれたと先々代の御住職から聞いていますが、戦後、アメリカでの研究によって近代的な経済を推し進めた人物とされ、評価が変わってきました。山本周五郎『栄花物語』、平岩弓枝『魚の棲む城』と、海音寺潮五郎の『悪人列伝』を読み比べてみませんか。
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勝林寺(駒込7-4-14) | 田沼意次の墓 |
田沼意次は規制緩和を行ない、洋学の導入にも大胆で、オランダの医学書を翻訳した杉田玄白らの『解体新書』(1774年刊)が生まれたのも彼の時代だったから、といわれています。玄白らと親しかった平賀源内を活用したのも、新知識を積極的に求めたからです。その源内から西洋画の遠近法を指導された画家で蘭学者の司馬江漢(1747-1810)が、染井霊園の西側慈眼寺(じげんじ)に眠っています。『地球全図』を著すなど科学知識もあり、権力におもねらず、縦横無尽に天下を批評した『春波楼筆記』は痛快な著作で、漫画『風雲児たち』(みなもと太郎)が自由に生きる彼等を描いて圧巻です。
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慈眼寺(巣鴨5-35-33) | 司馬江漢の墓 |
圧倒的な時代小説のヒ―ロ―は、慈眼寺の西側、本妙寺に眠る「遠山の金さん」こと、北町奉行遠山左衛門尉景元(1793-1855)です。南町奉行の鳥居耀蔵が水野忠邦の「天保の改革」を冷酷におしすすめ、芝居小屋を撤去しようとしたのを、猿若町に移転させて江戸市民の希望を守った人物です。耀蔵が「妖怪」、「まむし」と嫌われた対比で人気も上がったのですが、映画、テレビで親しまれているおなじみの「金さん」像を創りだしたのは、陣出達朗の「金さん」シリ―ズです。
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本妙寺(巣鴨5-35-6) | |
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遠山左衛門尉景元の墓 | 千葉周作の墓 |
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赤ひげ診療譚』主人公 小川笙船の墓 (雑司ヶ谷霊園:1種5号4側) |
同じ本妙寺に北辰一刀流の千葉周作(1793-1856)も眠っています。幕末「技(わざ)は千葉」と評された剣豪で、司馬遼太郎『北斗の人』、津本陽『千葉周作』に描かれています。雑司ヶ谷霊園の彼の弟の定吉とその子重太郎は坂本龍馬に剣を指導した人で、龍馬に嫁ぐことなく終わった許婚の佐那(さな)は定吉の娘です。
雑司ヶ谷霊園には、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の主人公、小川笙船(しょうせん)(1672-1760)も眠っています。墓に肉太の文字で「家族の墓」と彫ってあるのが、「小石川養生所」で貧しいひとびとに温かい手を差し伸べた人柄をうかがわせます。
巣鴨地蔵通り入り口、「江戸六地蔵」の真性寺に、森鴎外が史伝物に書き、「もっと知られていい」という「北条霞亭」(かてい)(1780-1823)が眠っています。漢詩で江戸期第一という菅茶山(かんちゃざん)に学び、廉塾で講師をつとめた儒者で、そのときに同僚だった頼山陽が頼まれて迷惑そうに書いた墓碑銘が気になる存在です。
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真性寺(巣鴨3-21-21) | 北条霞亭の墓 |
*墓碑銘の拓本を取る人が多いので、現在はカバーされています。
※各お寺にお参りする場合、寺務所に一声おかけください。
次回、4月から「江戸の噂・村のうわさ」として、豊島区に関連するエピソードを紹介します。
「おもしろ文人列伝」のご愛読、有難うございました。